【2006年5月】契約締結上の過失

私の所有する賃貸建物について、購入検討者が現れ、購入して自分で住みたいから空き部屋にしてほしいと言われたので、入居中の賃借人に了解を得て立ち退いてもらいました。ところがその後購入検討者は言を翻し、購入を断ってきました。購入検討者に対し、損害賠償請求をすることができるでしょうか。

売買契約の交渉に関して、確実に売買契約を締結できるであろうという段階にまで達していたのであれば、購入を断ってきた購入検討者に対して、損害賠償を請求することができます。
売買契約の交渉に関して、確実に売買契約を締結できるであろうという段階にまで達していたのであれば、購入を断ってきた購入検討者に対して、損害賠償を請求することができます。
 さて、民法上契約は、意思表示の合致のみによって成立することになってはいますが(民法555条)、不動産の売買契約については、通常、意思表示の合致だけでは契約が成立したとはいえないと考えられています。裁判所も「所有権の移転と代金の合意のほか、いわゆる過怠約款を定めた上、売買契約書を作成し、手付金若しくは内金を授受するのは、相当定着した慣行であることは顕著な事実である。この慣行は、重視されて然るべきであり、慣行を重視する立場に立てば、土地の売買の場合、契約当事者が慣行に従うものと認められる限り、売買契約書を作成し、手付金若しくは内金を授受することは、売買の成立要件をなすと考えるのが相当である」と判断しています(東京高裁昭和50年6月30日判決)。

 したがって、手付金・内金の授受と契約書作成により売買契約を成立させるまでは、あくまでも交渉の段階であり、交渉当事者は原則としていつでも交渉を打ち切る自由があるといえます。

 しかし契約成立に向けて交渉を進め、その結果、相手方に対して契約の成立に対する強い信頼を与える段階にまで至ったときは事情が異なります。信頼を裏切って契約交渉を一方的に打ち切った当事者には、相手方が被った損害を賠償させるのが衡平です。これが契約締結上の過失の理論であり、裁判例でも契約締結上の過失が認められています。

 ご質問者と同様、購入検討者が購入を前提にして所有者に対して賃借人との賃貸借契約を解約させたのに、結局、購入に至らなかった事案に関する裁判例があります(東京地裁平成15年12月19日判決)。

 この裁判例は、東京都中央区の土地66と土地上の6階建建物の売買に関する事案です。
 Xは建物の5階部分をAに対して月額賃料10万5,000円で賃貸していましたが、平成15年3月、Yが建物の購入を希望し、Xに対して、どうしても5階部分を明け渡してほしい旨の申入れをしたので、Xはこの申出に応じ、Aに50万円、賃貸仲介業者に10万円を支払い、賃貸借契約を解消させました。Yは、Xに対し、代金8,500万円、手付金850万円、中間金3,000万円、平成15年6月13日に残金4,650万円を支払う旨の購入申込書を提出しており、代金についてはXも了承していました。  
 ところがその後Yが態度を変化させ、500万円の値引きを要求したことなどから、結局交渉は決裂し、売買契約は締結されませんでした。
 この事案において裁判所は「Yは、Xとの間で、本件の売買契約について、売買代金も決定し、契約条件が定まった段階に至って、結局売買契約を拒否することになるのに、Xに対し、建物の5階をどうしても明けて欲しい旨を述べて、賃貸借契約の解約を求め、これによりXが損害を被ったのであるから、これは、契約締結の準備段階において信義則上の義務に違反したというべきであり、不法行為責任を負うというべきである。またYの賠償すべき損害は、A及び賃貸仲介業者に対して支払った損害金合計60万円と、1か月分の賃料相当額10万5,000円というべきである」として、70万5,000円の損害賠償請求を認めました。

 このほか、売買契約についての契約締結上の過失が認められたケースとして、マンション購入を検討していた歯科医が分譲業者と電気容量に関する打合せを進め、これに応じて分譲業者が設計変更をしたけれども、その後歯科医がマンション購入を断ったケースにおいて、分譲業者から歯科医に対し、設計変更に伴う費用についての損害賠償請求が認められた事案があります(最高裁昭和59年9月18日判決)。