俳句文学館は、社団法人俳人協会の運営する図書館で、日本で唯一の俳句文芸専門の図書館です。
収蔵図書は2009年1月現在、句集52,199冊、俳句雑誌312,425冊に及び、これはどなたでも自由に閲覧することが出来ます。
都営住宅が周りにそびえ立つ中の緑のオアシスです。
遊具は、ばね乗物3つ、砂場、うんていとすべり台があります。
芝生の広場の周りを小川が囲んでいます。
川で水遊びができますが、川底は苔が生えていて、やや滑りやすいので注意しましょう。
JR大久保駅と東中野駅の中間の地である北新宿。
新宿に近いとは思えないほど、閑静な住宅地が広がっているところに当社は鎮座しております。
日本神話の悲劇のヒーロー・日本武命関東の英雄・平将門公。
その鎧が当社の地には眠っていると古来より言い伝えられ、人々の崇敬を集めてまいりました。
伝説の地・鎧神社へ、社殿で手を合わせれば、悠久の歴史を感じられます。
真言宗豊山派の寺院で、医光山瑠璃光圓照寺という。
もと鎧神社の別当寺であったといわれている。
縁起については定かではないが、『江戸名所図会』などによれば、次のような経緯を経て、藤原秀郷によって建てられたという。
醍醐天皇の時代に、理源大師の弟子、貞崇僧都が現在の圓照寺の辺りに薬師如来像を安置。
承平5年(939)にかけて平将門が関東に勢力をもつようになった。
天慶3年(940)、藤原秀郷が将門を討伐するため軍勢を率いて出陣したが、中野の辺りで病に伏してしまった。
その夜の霊示に従って祈ったところ、苦 痛はたちまちなくなり、将門討伐の祈願も達成された。
喜んだ秀郷は、凱旋の後に堂塔を建立し、圓照寺とした。
また一説では、旧地頭の柏木右衛門佐頼秀の館 跡であったとも伝えられており、境内にその由来にもとづく右衛門桜が植えられ、名木として有名だった。
公務員宿舎「新宿西戸山住宅」を解体、西戸山再開発事業の一角「民間活力導入による国有地再開発第1号」として建設された。
ロンドンのグローブ座の構造を参考に、当時の様式になぞらえた張り出し舞台を、円筒状の客席が囲むように設計されている。
設計は建築家の磯崎新。
JR新大久保駅の南東約400Mに鎮座する。
全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め、「撫で守り」の授与で有名である。
皮膚病・その他病気平癒に御利益がある。
境内の三島神社に祀られている恵比寿神は新宿山ノ手七福神の一つである。
天保2年(1831年)、大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王
権現を合祀し、稲荷鬼王神社となった。
熊野の鬼王権現は現存していないため、「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社となっている。
また、大祭で担がれる宮御輿は、鬼面が彫られた珍しいものである。
祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命。
また、大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されている。
神社の名前から誤解されやすいが、「鬼」を祭神としているわけではない。
他、平将門の幼名が「外都鬼王」「鬼王丸」といったことから、名前を取ったという伝承
もある。
新宿文化センター(しんじゅくぶんかセンター)は、東京都新宿区新宿六丁目にある、新宿区が運営する複合文化施設である。
大・小各ホールやリハーサル室・会議室・展示室・レストランなどがある。
ホールでは区関係のイベントの他、オーケストラコンサートなども多く行われ、新宿区内外を問わず多くの利用者が訪れる施設である。
区民からの新宿区にも文化施設を建設してほしいという要望から、新宿区成立25周年を記念して都電大久保車庫の跡地を利用して1979年に開館した。
開場から28年が経ったため大規模な改修工事が行われ、2008年4月にリニューアルした。
もとは大窪(大久保)天満宮と称し、古くからの東大久保村の鎮守である。
西向の名は、社殿が西向きになっていることに因む。
また、寛永年間(1624~44)将軍家が棗の茶入れを下賜し、荒廃していた社殿の再興を促したという伝承から「棗天神」とも呼ばれた。
社伝によれば、安貞2年(1228)栂尾の明恵上人が菅公自作の尊像を持って東国に下向し、北野天満宮を勧請したとされる。
天正年間に戦火で全焼したが、聖護院宮道晃法親王が東国下向の折、元信大僧都に命じて再興させたという。
別当は大聖院で、聖護院直末・本山派修験の江戸役所であった。現在も同じ境内に同居している。
境内には天保13年(1842)築造の富士塚(東大久保富士)などがある。
また、大聖院の境内には太田道潅の山吹の里の逸話で知られる紅皿の碑もある。